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さっき見てきた。
前二作について空缶には「ま,いいんじゃね?」的な結構投げた気分があったけど
さすがラスト、今回ばかりは映画に気合いが漲っていて見入ってしまった。
原作の「ともだち歴」以降は正直、状況があまりにも漫画漫画していて
あまり好きになれなかったけれど,映画としてスクリーンに再現されて
始めてそのヴィジョンの凄みが伝わってきたという感じ。
壁に封鎖され,ともだちタワーの聳える東京の暗黒ぶりが画面に映える映える。
ブレードランナープラスNY1997って感じの,SF好きならたまらん映像美。
tokyo.jpg
200何階建てのともだちタワーのてっぺんにちょこんと腰掛け,
ブツブツつぶやくともだちの壊れぶりもその景観とあいまって恐ろしい。
二代目二足歩行ロボも映画ならではのお色直しをされて大暴れ。
見た感じ漫画版の1.5倍程度ありそうな威容,そしてとにかく足が速い速い。
オッチョがビルの屋上にいるとフレームの端から丸頭がヌッと出て来て
「ハイごめんなさいよ」と言わんばかりに,ガッシャガッシャと走り抜けていく。
robo.jpg
そして空にはひらひらとUFO。迫力と禍々しさと馬鹿らしさの三位一体。
この唐沢なをき漫画じみた光景が終末だというのか。
笑っていいのか唖然としていいのか。書いている今もなんだか腹がヒクつく。
まさかこの映画で幻惑されるとは思わなかった。
そしてこの幻惑感は「子供の空想」が現実化したら・・・というお題から生まれる
恐らくは正しい効果であり,映画の力の完全勝利だろう。

そして,ドラマのまとめ方・・・端折り方も比較的スマートだと思う。
原作のフォローである以上に映画として完成しているというか。
特に血の大晦日以降(爆発をどう生き延びたか描写がありました。は?ナルホドw)、
ケンヂがどこで何をしていたか,の回想は,ロボットだ何だというギミック以外の部分、
「人間ドラマ」としてのクライマックスだろう。等身大、生身の万年アンちゃんたるケンヂが
ケンヂたる存在理由の証明というか・・・。
体制がどこまで人を踏みにじれるかという悲劇の描写でもあり
放浪のアンチヒーロー・ケンヂの生まれの苦しみでもある一連のシークエンス。
「慟哭」この言葉がぴったりとはまる,狂おしくも美しい名場面だと思う。
kenji.jpg
あと「ライブ」ね。
うわーこうまとめるか・・・と,浦沢先生の趣味丸出しっぽくて漫画ではちょっと白けたんですが
映画ではライブの本気ぶり、命がけっぷりがよりシビアに描写されています。
まさに死ぬか歌うかの瀬戸際。ちょっと泣きました、ええ。熱いです。
全体として,数々の感動を散りばめながら散漫だった漫画の終盤部分を,
上手に整理したという印象。

で,「ともだち」は誰なんだという話だけど・・・。
いちおうキレイな落ちはついた。ついたと思う。なる程ネと。
思わせぶりというかヒッカケでしかない蛇足エピソードもあって心配したけど。
いやいくら何でもアレ立場上まずいだろう。総括されても文句言えんわ。
ん?・・・しかし整然と説明されてしまうと,そこからまた数々の疑問が湧くのも事実。
いくら小学生が万事適当だからって,そこまで思い違いをするか,とか。

しかし今回最大の不満は小泉響子がただいるだけの存在だった事だ。
最後なんだしあの完成された小泉芸をもっと見たかった。


追記:
「グーダララ」バージョンのボブ・レノン・・・
そのふざけた語感、13号が「聞いてるとどうでもよくなってくる」と
言っていた事などからナンセンスソングめいた印象を持っていたが
いざ耳で聞くとえらくハートフルだ。
この歌こそが映画全体の統一されたトーン,意味であり命・・・かな。

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