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生存者―アンデス山中の70日 (1974年)生存者―アンデス山中の70日 (1974年)
(1974)
P.P.リード

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新潮文庫から文庫版も出ている模様。

ウィキペによる事故の詳細
あまりにも有名な事故である。
生存者たちの監修のもとに書かれた実録との事で,この本の出版もまた
事件の末尾に位置するエピソードだろう。
手際よくありのままが描かれており,遭難中に撮影された写真も載っていて
何より事実そのものの信じ難いドラマ性。希有の実録文学と言えるんじゃなかろうか。
FokkerAnde1972.jpg
墜落した571便

正直に言えばこの本を初めて手にしたのは小学生の時で
(親がたぶん,出版当時買って読んだ後そのへんに放置していた),
どーもこれは人食いの話らしい・・・と興味本位で読んでみた,というのが馴れ初めではある。
そして何と言うか、事実の重みに圧倒された。
初めは死体を食うか食わないかで議論になり,吐きそうになりながら
肉の小片をようやく雪で喉に流し込んでいるのに,それに一度慣れると
食べる部位を筋肉から内臓、脳髄、骨の随まで広げ美味しく食べる工夫まで行う。
創作ならかなり悪趣味な話ではある。でもこれは現実にあった事だ。
これを皮相なものとして「ふぅ、ヤレヤレだな」と揶揄する向きもあるようだけど
空缶はそうは思わなかった。どう見たって絶望的な状況でも,新たな局面を
次々と生み出して行く・・・生きるという事の生々しさと能動性にひたすら圧倒されたのだ。
それを言ってしまえば,「八方塞がりだから何しても無駄じゃん?」という意見も
一方には存在する。現に生存者の幾人かが気力を完全に喪失していたようだし,
動こうにも怪我で動けない者もいた。
脱出の為の遠征隊も半分は運で里まで降りたようなものだ。
彼ら生存者が助かったのはまったくの幸運である。全員が死ぬ率の方が圧倒的に高かったのだ。
にも関わらず彼らは生きのびた。
要は「死ぬまでは生きる」という言葉遊びのようなそれだけの事が
いちど行為となるとどこまでも大胆で,現実を変えていく不思議だ。
とか感銘しつつ,のんべんだらりとブログなど書いている昨今だが・・・。
colaAvionBIG.jpg
機体後部でくつろぐ生存者

あと興味深いのは,ありのままの実話でありながら,イイ奴、駄目な奴、憎まれ役など
キャラ分担がドラマチック過ぎるほどハッキリしている点だろうか。
閉所で肩寄せ合っているうち「役割」が自然と決まる,とかあるのかな?
パラードのリーダー性、カネッサの問題児っぷり,ハビエル叔父の情愛の深さ、
ひたすらニヒルなボビー・・・。それぞれに分かるものがあって納得。
実在の人びとにこんなレッテルを貼るのも失礼かなとは思うが,彼らの個性が
絡み合う様は実際、読んでいてつくづく飽きない。
そして誰かが死ぬたび心底虚しくなり,誰かが助かると我が事のように嬉しい。
この個々人の性格をしっかり捉えた描写が,この小説に無味乾燥なレポート以上の価値を感じる部分でもあり。

アンデスの奇蹟アンデスの奇蹟
(2009/03/13)
ナンド・パラード+ヴィンス・ラウス

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こちらは遠征隊の一人、パラード本人による伝記
未読だけどぜひ読んでみたい


追記:
死体を食べる時に某が「これは肉だ。ただの肉なんだ」と自分を納得させた言葉が
やがて文字通りの事実となる。つまり限られた資源の有効活用である。
活用・転用できるものが死体と雪,スーツケースとゴミしかなかったのだ。
そして死体は栄養源・食器類・ソックスなどとして利用された。
死体で暖かい小屋が建てられるなら彼らはそうしただろう。
これほど猟奇性に乏しいカニバリズムは珍しい、とよく言われるが
環境に対する改変・適応という行為は遭難時には当然行われるものであって
一部の人びとによる趣味の人肉料理の話と趣が違うのは当然である。

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