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何よりも理路整然として,円熟味が感じられる。
小説としての完成度は「アンドロ羊」以上だと思う。
VALISが飛ばし過ぎで,ティモシー・アーチャーが饒舌に過ぎ,
聖なる侵入が正調ディック節だという事を思えばこの出来の良さは
特筆に値する。
恐さも一流ならさわやかさもまた格別。とにかく読後感がヒューマン。
そしてこの話を執筆した後,更に手を加えて紆余曲折の果てに生まれたのが
あの怪作、VALISであり,VALIS内で登場するB級映画の粗筋がまさしく
「アルベマス」の変奏なのだ。
「大衆にアプローチする手段としてチープにせざるを得なかった」
とか何とか、ディックは映画制作者(エリック・ランプトンw)に言わせていた。
一旦は完成させたアルベマスが,旧来のSF枠に綺麗に収まっている事が
不満だったのだろうか。
或るいは「高い城の男」で示されたように,どちらが正しいとも言えない
世界の真のありようについての表現として,一度は「この世」として示された
アルベマス世界を虚構として最提示して見せる必要があったのか。
e.jpg
SF話の挿絵にエッシャーを使ってみたくて貼った
今は崩壊している


そういえばアルベマスは「高い城の男」の続編として構想された,らしい。
どこでこの二作品が繋がるのか,空缶にはいまひとつ判然としないが
ナチの支配するアメリカ、ファシズムが台頭したアメリカ、という
「在り得るもうひとつの世界」についての話には違いない。
そして,ナチの方はともかく,フレマウント大統領はニクソンそのまま・・・
虚構であって半分虚構でない世界なのだ。
易経という乱数システムで真の世界を察知できる,という仕掛けを
ディックは設定したが,平行だったり入れ子だったりと悩ましい
「鉄の牢獄」としての多元世界の在り方は、なんとなくだけど
世界の実像は「波動のゆらぎ」に過ぎないという理屈を想起させる。
波動のゆらぎが脳内で情報処理された結果、こういう世界に見えているだけという。
ディックが迷妄-マーヤ-と表現しているのがこれじゃないか。
そしてその脳という物質自体もまた迷妄の一部というパラドックス。
我々は今どこにいるのか誤読かなーこの引用は・・・w
・・・などとつらつら勝手な解釈を書いていて気付いたけど,
要は「高い城の男」「アルベマス」で高まった、そーいう世界観感覚を
ディックは我々読者にわかりやすく「釈義」して示そうとした結果
VALISを書いてしまったのではなかろうか。
より言葉を重ねて説明したくなるこの感覚。
ディック自身が呑まれてしまったこの罠にかかずらうのは恐ろしい事だ。
そしてVALISとアルベマス,どっちが好きかと言われれば空缶は後者を選ぶ。
自由アルベマス放送は,ウェストコーストサウンドを奏でてくれるから。

アルベマス (創元SF文庫)アルベマス (創元SF文庫)
(1995/04)
フィリップ・K. ディック

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で、どこがウェストコーストやねんと
でも,ラストのアレはたぶんこんな感じだと思うんです

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