上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
誰から聞いたのか「ありゃー野心作だゼ」と。
面白いらしいね、とアニオタの女の子に何気に言ったところ
「じゃーうちで見ますかー!」となった。
空缶と友達の二人で女の子の家にお邪魔し、神妙な面持ちで見るパトレイバー2。
「いやーこれねークソですよー!」
屈託なく笑う女の子。
「だってねー特車二課の出番少ないしー小理屈ばっかだしークソですクソ!」
そんなこんなで「モニタの前で『唄いますか』ごっこ」をさせられた空缶と友達。空缶は荒川の役だった。そりゃねぇよ。
PATLABOR21.jpg

あの頃、押井ファンが期待するものといえば「うる星やつら」のような、キャラ達が学芸会ノリで絡み合うドタバタだったのは確かで、パト2にはそれが薄い。
まぁ1の方(エホバのあれ)で一杯一杯だったという女の子にはとうてい許容できる世界ではないのは当然だ。

それにしても畳みかけるような小理屈ぶりである。
ゾンビーハンターの頃の平井和正の文などもそうだが、立板に水の勢いで突きつけてくるレトリックの妙。
荒川の、どこか嘲笑的な口調で淡々と語られる戦争のシナリオ。
それが恐ろしいのは、まさにその机上の小理屈そのままの事が行われ、実際にあの世界、近未来の日本が傾きつつあるという点だ。
高度にシステマイズされた国家をゆり動かすには大掛かりな仕掛けは必要ない。
いくつかのピンポイントを突いてやりさえすれば後は勝手に・・・。
そういう空恐ろしさを考えると、「押井的ドタバタモブ」を省かざるを得なかった訳が見えてくる。
例えば駐屯地篭城の様子などは、本来はそれだけで絵になるドタバタ劇な訳で、パトレイバー2の背景にはそういった人間臭いドラマが山ほどある筈なのだ。
しかしまず先にあるのは熱い群像劇ではなく、システムの亀裂として描かれる仮想クーデター。
ゲームから状況が生まれ、その状況下でシビリアンコントロールが瓦解していく過程。個々の集団は要素に過ぎず内部描写は瑣末事に過ぎない。荒川節入ってますか。パト2の醍醐味はこの冷たい感覚に尽きる。うる星ではダメなのだ。
PATLABOR23.jpg
ドタバタは減ったけど人間味の描写はいいと思うんだが・・・
イカれた荒川演説がある一方、こういう市井の人々の息吹がちゃんとあるのが救いというか
大事なことというか。
そして一方では自衛隊員たちも血の通った人間として描かれている。
得体の知れない任務遂行ロボではないのだ。
にも関わらず、そういった暖かい人間たちが状況を進めざるを得ない恐怖。


ただ空缶的に疑問だったのは、最終状況としての「米軍による日本占領」がどれほどのもんじゃという点。
いや、もちろん国家的ドンデン返しな大事件な事は分かる。
荒川は「この国はもう一度戦後からやり直す事になるのさ」と極上の殺し文句を吐いてくれるが、太平洋戦争は、何年にも渡る国あげての実戦と甚大な人的・物的消耗、そういうものの果てに原爆を落とされて決着した訳で、
そこに降り立ったマッカーサーの存在は近代史上稀に見る衝撃度だった筈だ。
でもパト2の状況で第七艦隊が日本に攻めてきたところで何があるのか。
自衛隊が徹底抗戦? 東京が焦土になる?
人々は占領という事実に慣れ、また柘植が身を挺して破ろうとした幻想を生きるだけではないのか。
戒厳令の東京で、自衛隊が風景に溶け込んで馴染む様にそれは表されている。

戒厳令法が存在しないのでこれは戒厳令ではない。・・・じゃあこれは何?
このへんの非現実感の描写は秀逸だ。


ドラマ的には柘植は策士だ。アホな筈がないのであって、静かに錯乱しながら戦争を語る荒川と柘植の間には明らかな乖離がある。
柘植が目指しているのは単にあるがままの現実に、違う意味を付与する事だ。
「その平和、幻想だよ」とだけ教えられればいいという。
その為にどの程度の地獄沙汰を用意するか。
柘植は、ゲームが未遂に終わる事まで想定済みだった気がする。
防衛庁の跳ねっ返りとして国家転覆を夢見ながら、いざその段になって慌てていたのが荒川で、実は寸止めで済ませたかったのが柘植ではないか。
いつの日か、この騒動の意味を誰かが考えてくれれば・・・と。

「だからですねー、パトレイバーでこういう話やるところがクソなんですよー!」
まぁ付け足しめくけど、東京の情景描写は絶品じゃないか!
部屋でぬくぬくしながら絶妙な雪景色とか最高だろうに。
と幾年もの時を経てこんなところでささやかに反論しておく。
PATLABOR22.jpg
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。