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陰謀史観の歴史上においても突出した奇書と言える
川尻徹の「陰謀のシナリオ」。について雑感。
ややネタバレっぽいのでご注意。
いくらバラしても本当に読まないとその凄みは分からない、
そういう類いではあるのですが一応・・・
「プレスリーは生きていた!」式の妄説を軽口として語る事はあっても
一週間ブッ通しで展開したのは生まれて初めてだ。
20世紀ドリフ幻想」の事である。
やってみて分かったのは,ふたつの事象をコジツケるのはた易い事、
そしてそのコジツケの出来に満足するほどに本気でハマるという事実だ。
一年、いや三ヶ月も続けていれば本物の妄想持ちになれる事は間違いない。
妄想体系の構築は危険な位に面白い。
そして空缶の「コジツケ遊び」の根底には「ノストラダムスの大予言」「陰謀のシナリオ」の存在があった。
そうして面白半分でやっていたら「陰謀のシナリオ」をプロデュースした康芳夫が出て来て
変なところででつながってしまったという。
kou.jpg

危うくにあっち側に転びかねない衝撃ではあった。
オレ遂に何か掴んだのか!? みたいな。
が,相手は怪しさ爆裂のこのお方である。
空缶と浦沢直樹という人がそれぞれ「胡散臭いもの」を求めた結果
違うベクトルから彼に辿り着いたとして何の不思議もないお粗末。
奇妙な因縁めいたものを感じはするが・・・

追記:
今さっき,ウィキをちゃんと読んでみたら
「浦沢直樹の漫画「20世紀少年」のキーマン、万丈目胤舟のモデルになっている」
と明記されておりましたとさ。はぁ間抜けだ・・・


かような個人的あれこれを踏まえつつ「陰謀のシナリオ」を再読してみた。
ナチス-千年王国はノストラダムスの大予言に基づき計画されたという論旨。
その予言は代々続く賢者集団の暗躍によって成就「させられている」というのが最大のキモ。
論者である川尻徹と常識人のインタビュアーとの対談形式なので
突飛な説がわかりやすく理解できる。いい配慮だと思う。
それはともかく,初読の時は川尻徹という人のスタンスがよく分からなかった。
酔狂なのか,おちょくっているのか。
今は「あっち側に呑まれた人」だとかなり本気で思う。でなきゃひがな一日冗談だけ言って
正気でいられる強靭な精神の持ち主だ。
狂っているとかでは決してない。「コジツケ」・・・そう言って悪ければ論を立てる事、
それ自体の自立的な営みに呑まれて「推論マシン」と化してしまった一例。
複雑なのは川尻説が「歴史ロマン」として面白過ぎる事である。
ナチ幹部のそれぞれに影武者がいたというのはいかにもありそうな話だし,
その影武者の出自についても奇想天外な切り口で論じており,飽きないのだ。
「ヒトラーは悪ではない!世界の為、予言に従い悪を演じた気高い男だったのだ!」
一般に歴史的巨悪として認知されるヒトラーをこう喝破するに至っては
正直グッと訴えて来る奇妙な感動がある。
ナチスが目指した男達の黄金境、千年王国の夢を共有してしまったかのような。
そしてこの感動なくしてオウムのナチス信奉は有り得なかった。
危険すぎる。それほどに魅力溢れる川尻説なのだ。
漫画とドリフの関連で満足している空缶には及びもつかない高みで川尻説は輝いている。
あれだけの論をこねくりながら醒めている五島勉も一歩譲らざるを得ないだろう。
本物の輝きに対して。

で,空缶が川尻説を有り得ないと判断する根拠は実に薄弱だ。
「・・・ある訳ないじゃん!」という「常識的判断」あるのみで。
ただこっち方面に疎い空缶でも疑問に思える箇所があるので幾つか指摘しておく。
ah1.jpg

本文中に,このような形でヒトラーの写真が載っており論者は
「しょぼくれた風情で老人的。故にこれは影武者」という趣旨の判断をしているのだが
この写真の全体像はコレ。
ah2.jpg

あまりにも有名な,シャン・ド・マルス公園でのスナップである(合成写真説あり)。
ヒトラーが変な姿勢なのは,手すりにもたれかかった一瞬の姿だからであって
背筋が弱っている訳ではないのは見たままだ。

追記:
ヒトラーをローアングルから煽っているカメラ小僧がいる点から
「閣下、もうちょいグッと、こう大胆にグッと前に出てみましょーか!」
「どうよ? こんなか?」
「イーっすよイケてるっすよー威厳出てますよー閣下!」
なんていうポーズ決めの最中にも思える。


多くの人が知るこの写真を誤って判断するとはどういう事か。
ナチスドイツの記念すべき日、歴史的な凱旋という局面で
老衰気味の影武者だからヨレっとした姿勢になっちゃった,とすると,
あまりにもひどい大根だ。影武者失格ではないか。
だいたい,「パリの主たるオレ様」を粛々と確認し実感するこのイベントに
代理を行かせるというのはちょっと考えにくい。
いかに川尻説がヒトラーの目的をノストラ予言実現のみと説こうが,
やはりこういう時は大きな節目として本人が出向くものじゃなかろうか。
要するにこの写真は本物のヒトラーが
「くつろいだ余裕すら感じさせる総統閣下」を演じているだけ,と空缶は見る。
また,杖を持ったヒトラーを「衰えている」と推測し、ラジオ演説中の彼を「知的」,
凱旋中の様子を「荒々しい覇気に溢れた」・・・故にそれぞれ別人と推測ているが・・・
それぞれの場に合った当然の感情が体に現れているだけじゃないのかと。

追記:書き忘れた。居眠り中のスナップを「知的なもの,意思力が欠けている」とも。
「当たり前だ!」と一応突っ込んでおきたい


どうも論拠が薄弱過ぎ・・・正直言っちゃえば、パソの前であーだこーだしながら
20世紀ドリフ幻想をこねくった空缶と調査力はドッコイじゃないのかという。
・・・でもそれでいてこの漲るロマンチシズム。
飛躍の仕方,落とし方が尋常ではないのだ。
一番不可解なのは説ではなく川尻徹という人物そのものだ。
川尻徹という人の中に在った不可解で光輝くヤバいもの,
それ自体が解題を待たれる謎ではないか。

「滅亡のシナリオ」
川尻徹・著(廃刊)

著者の川尻徹についてのwikiはこちら

追記:
とは言え確かなのは
「ヒトラーって写るたびに雰囲気違い過ぎだな?」という事。
人が人だけに影武者を想定することを虚妄とは言い切れない。
故に医学的所見というアプローチで解明を試みたことは画期的と言える。
その反面、写真の図像を無条件に信頼しているのは弱点だ。
「もたれかかるヒトラー」の失敗もあるし(恐らくトリミングされた図版が初見だったのだろう),
撮影された状況により「同じ人なのに写りが違う」のはよくあることで,
それを間違い探しのようにアレが違うコレが違うと比較検証してしまうのは
間違った結論に陥る危険がある。
よって個人的には,後半の長老どうこうのあたりはついていけないながら,
写真判定についてはボーダーとしておく。
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